1888年9月
濃い青の空の下、緑の鎧戸をもつ黄色い建物が角に立つ。手前は広い通りで、人が歩いている。
黄色い家(通り)
The Yellow House (The Street) / ファン・ゴッホ美術館
緑の鎧戸よろいどのある一角が、ゴッホの住まいだった。ただの家にするつもりはなく、同じ考えの画家が集まって暮らし働く場所にしようとしていた。計画は動き出す。この絵の翌月、ポール・ゴーギャンがやって来た。ひまわりも寝室も、この家にいた数か月の産物である。彼自身はこの絵を「黄色い家」ではなく「通り」と呼んでいた。
何が描かれているか
濃い青の空の下、角に黄色い建物が立っている。緑の鎧戸がある部分が、ゴッホの住まいだった。
彼はこの絵を「通り」と呼んでいた。描かれているのは、その頃の彼の生活圏そのものである。左の食堂ではよく食事をとった。2つめの鉄道橋の向こうには、友人の郵便配達人ゆうびんはいたつにんジョゼフ・ルーランの家があった。
1888年5月、ゴッホはアルルでこの家の4部屋を借りた。ラマルティーヌ広場に面した角の建物である。引っ越してすぐ、弟テオに説明とスケッチを送っている。「すごいんだ、この黄色い家が日射しを浴びていて、それから比べようのない青の新鮮さ」。
なぜ重要か
ゴッホはここを、ただの住まいにするつもりがなかった。絵を描くだけでなく、友人たちを泊められる場所——同じ志の画家が一緒に住んで働く「芸術家の家」にしようとしていた。黄色は、彼がこの土地に見た光の色でもある。
その計画は実際に動き出す。この絵の翌月、ポール・ゴーギャンがこの家にやって来る。ひまわりの連作れんさくは、その客間を飾るために描かれたものだった。ひまわり、寝室、夜のカフェテラス——よく知られた絵の多くが、この家にいた時期に生まれている。
制作背景
1888年9月、35歳。アルルに来て4か月ほど経った頃の絵である。
ゴッホがこの家に求めたのは、南フランスに画家の集まる場所をつくることだった。1人で描くのではなく、同じ考えの画家が一緒に暮らし、働く。そのために彼は簡素な家具を自分で揃え、壁には自分の絵を掛けている。
この絵の題を、ゴッホ自身は「通り」としていた。家そのものより、そこを含む一角の眺めを描いたつもりだったことになる。いまこの絵を「黄色い家」の名で呼ぶのは、後からついた習わしである。
寸法
72 × 91.5 cm
材質・技法
カンヴァスに油彩ゆさい
所蔵
ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
目録
s0032V1962(F0464・JH1589)
出典:ファン・ゴッホ美術館 作品ページ / ファン・ゴッホ美術館《ひまわり》作品ページ(ゴーギャンが黄色い家に住んだ裏づけ)2026-08-29 確認)