1508–1519年
洗礼者ヨハネ。暗闇から浮かび上がる若者が、右手で天を指している。
洗礼者せんれいしゃヨハネ
Saint Jean Baptiste / ルーヴル美術館
何が描かれているか
真っ暗な中から、若者の上半身だけが浮かび上がっている。背景には何も描かれていない。72.9×56.3センチ、クルミの板に油彩ゆさいで描かれている。
右手の指が天を指している。左手には細い十字架。まとっているのは斑点はんてんのある獣皮じゅうひで、ルーヴル美術館はこれをラクダの皮ではないと書いている。洗礼者ヨハネといえばラクダの皮、という決まりから外れている。
体は右へ、顔は左へねじれている。ゆるやかな螺旋らせんを描くその姿勢のせいで、動かない絵なのに止まって見えない。
なぜ重要か
輪郭線が消えている。光が闇からそっと形を引き出すだけで、どこにも線が引かれていない。モナ・リザで始めたやり方を、背景を全部捨てて突き詰めた絵である。風景も、家具も、光の差し込む窓も無い。残っているのは人と闇だけだ。
荒野で苦行する厳しい聖人、という従来の描き方からも離れている。ここにいるのは、微笑をたたえた中性的な若者だ。天を指す指だけが、この人が何者かを示している。ルーヴル美術館は、理想化された美しさを持つ思春期の姿だと書いている。
制作背景
56歳の1508年頃に描き始め、1519年に67歳で死ぬまで完成しなかった。誰が注文したのかは分かっていない。ルーヴル美術館は、注文の記録がひとつも裏付けられていないとし、聖アンナと同じように個人的な仕事だった可能性を挙げる。
この絵は、ヨーロッパを一周して帰ってきている。1518年頃にフランス王が手に入れたあと、事情の分からないまま王室の所蔵を離れた。1620年代にはリアンクール公という収集家の手にあり、そこからイングランド王チャールズ1世に贈られてロンドンへ渡る。チャールズ1世が処刑された後、1651年に競売にかけられた。パリの銀行家の手を経て、ようやくフランスの王室コレクションに戻っている。
いまはルーヴル美術館の710号室にあり、岩窟がんくつの聖母、聖アンナと聖母子せいぼしと同じ部屋に並んでいる。モナ・リザだけが、隣の711号室にいる。
⚠️ 肌の色が本当はどうだったか、決まっていない
ルーヴル美術館は2015〜2016年にこの絵を修復した。それまで厚く酸化したニスに覆われ、聖人の姿はかなり黄ばんでいた。館はニスを薄くしたが、古いニスの層をあえて残したため、いまも光が黄色く見えると書いている。一方で絵具を採って調べると、肌の色調ははっきりもっと冷たかった。古い模写も明るい肌で描いている。
寸法
72.9 × 56.3 cm
材質・技法
クルミ板に油彩(未完成)
所蔵
ルーヴル美術館(パリ)710室
目録
INV 775; MR 318
出典:ルーヴル美術館 作品ページ2026-08-29 確認)