小路
Het straatje / アムステルダム国立美術館
この絵に描かれた家には、番地がある。館は、デルフトのフラミング通り40番と42番だとしている。右の家には、フェルメールの叔母アリアーンチェン・クラースが、1645年頃から1670年に亡くなるまで、子どもたちと暮らしていた。知らない町のどこかではない。画家は身内の家の前に立って、これを描いたことになる。
何が描かれているか
赤煉瓦の家が二軒、正面から描かれている。右の家は階段状の切妻をもち、鉛の桟を入れた窓に緑の鎧戸が付く。一枚だけ赤く塗った戸がある。
右の戸口には女が腰かけて、手もとの縫い物を見ている。中央の細い通り道の奥では、別の女が桶に身をかがめている。左には白く塗った枠の中に、暗いアーチの入口が開いている。
手前の敷石には、子どもが二人しゃがんで遊んでいる。左の壁には蔓草が這い、その下に腰掛けと木箱。空には雲が出ていて、家並みの向こうにも別の屋根が見える。署名は左下、白い壁の上にある。
なぜ重要か
フェルメールの絵の中で、この一枚は変わっている。館は、なんでもない家をそのまま主題にした絵として、当時としても際立っていたと書く。人が主役ではなく、建物が主役なのである。
古い壁の煉瓦、塗り重ねた白、そこに走るひび。館の言葉では、手で触れられそうなほどである。構図は落ち着いているのに、退屈にはならない。正面から見た平らな壁だけで、これだけの奥行きが出ている。
制作背景
最初の持ち主は、おそらく同じデルフトのピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンである。《牛乳を注ぐ女》と同じ人物で、その後は娘とその夫ヤコブ・ディシウスへ渡った。
1696年5月16日のディシウス競売で、この絵は72ギルダーほど、あるいは48ギルダーで落ちている。目録の番号が二つあり、どちらだったのかは決まっていない。
1800年の競売では1040ギルダーになり、ピーテル・ファン・ウィンテルが買った。そこからシックス家に伝わる。1921年の競売では買い手がつかず、そのあと62万5千ギルダーでヘンリー・デターディングが引き取って、同じ年に館へ贈っている。
出典:アムステルダム国立美術館 作品ページ(2026-08-29 確認)