パウル・クレーは1879年、スイスのベルン近郊ミュンヘンブーフゼーに生まれた。父は音楽教師、母は歌手で、幼い頃からヴァイオリンと絵の両方を学んだ。
1898年にミュンヘンへ移り、私塾と美術アカデミーで絵を学んだ。初期には線を中心とする素描や版画へ取り組み、見たものを写すだけでなく、風刺や空想を加えた。
1911年頃からカンディンスキーやフランツ・マルクら「青騎士」の芸術家と交流した。特定の様式へ完全に加わるより、音楽、詩、子どもの絵、自然観察を独自の記号へ変えていった。
1914年、アウグスト・マッケ、ルイ・モワイエとチュニジアを旅行した。強い光と色彩の経験は、輪郭中心だった制作に透明な色面を組み込む大きな転機となった。
第一次世界大戦中の1916年にドイツ軍へ召集されたが、航空部隊の後方任務に就きながら制作を続けた。戦時中にもベルリンの画廊デア・シュトゥルムで作品が紹介された。
1921年からヴァイマルのバウハウスで教え、後にデッサウへ移った。バウハウスは美術、工芸、建築を結び直そうとした学校で、クレーは線、色、運動を分析する授業を行った。
1931年にデュッセルドルフ美術アカデミーへ移ったが、ナチス政権成立後の1933年に職を追われ、ベルンへ戻った。1937年には作品が「退廃芸術」とされ、ドイツの公的収蔵品102点が押収された。
晩年は重い病を抱えながらも制作を続け、1939年には1,253点を記録した。1940年6月29日、スイス南部ムラルトで死去した。国籍取得の承認は死後に届いた。
画家になる前からヴァイオリンを学び、音楽の構造を絵の思考にも生かした。
出典:ツェントルム・パウル・クレー 略歴 / ツェントルム・パウル・クレー 研究 / ツェントルム・パウル・クレー コレクション(2026-09-14 確認)
クレーの国籍、ナチスによる押収、米国での作品権利について単純化を避けた。掲載作はすべて1930年以前の公表作に限定した。
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黒田 和士 著 / 東京美術
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