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ヨハネスの生涯
1632–1675
1632年、オランダのデルフトで生まれた。洗礼の記録が10月31日に残っている。父は宿屋を営みながら、絵の売買もしていた。フェルメール自身も、生涯その両方を続けることになる。
画家としての仕事は多くない。マウリッツハイスの数え方では、現存する作品は36点だけである。館はその理由をはっきり書いている。1点にかける時間が、とても長かった。
描いたのは、ほとんどが室内の静かな場面である。手紙を読む女、牛乳を注ぐ女中、楽器の前に座る女。館はその特徴を、落ち着いた、ほとんど時間の止まったような雰囲気だと説明する。
彼は画家であると同時に、画商であり、絵の鑑定人でもあった。デルフトの画家組合の役員も務めている。
1675年に亡くなった。43歳だった。その後およそ200年のあいだ、彼の名はほとんど忘れられている。世に出るきっかけのひとつが、1881年にデン・ハーグの競売へ出た《真珠の耳飾りの少女》だった。汚れていて誰の作か分からず、2ギルダー30セントで落札されている。
画家であると同時に、画商であり、絵の鑑定人でもあった。
出典:マウリッツハイス ヨハネス・フェルメール(2026-09-01 確認)
現存する点数(36点)は館の数え方である。帰属に議論のある作品があり、確定した数字ではない。