アンリ・マティスは1869年、フランス北部のル・カトー=カンブレジに生まれた。若い頃は法律を学んだが、病気療養中に絵を描き始め、パリで本格的に美術を学んだ。
初期には写実、印象派、新印象主義を試し、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンらの作品から学んだ。既成の様式を一度で捨てたのではなく、色と形の役割を段階的に変えていった。
1905年、アンドレ・ドランと南仏コリウールで制作し、同年のサロン・ドートンヌへ強い色彩の絵を出品した。批評家が彼らを「野獣」と呼んだことから、フォーヴィスムの名が生まれた。
《帽子の女》《生きる喜び》では、色を物の固有色から離し、画面の感情と構造を作る力として用いた。1909年にはロシアの収集家シチューキンから《ダンス》《音楽》を依頼された。
1910年代には室内、窓、静物を繰り返し、鮮やかさだけでなく平面と奥行きの関係を追究した。第一次世界大戦後はニースを拠点に、人物と装飾的な室内を多く描いた。
マティスは絵画だけでなく彫刻、版画、舞台装置、書物にも取り組んだ。晩年、体力が低下すると、彩色した紙を切って配置する切り紙絵を主要な表現へ発展させた。
1940年代後半には南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の建築、ステンドグラス、壁画、祭服まで統合して設計した。色、線、光を一つの空間へ結ぶ晩年の大仕事となった。
1954年、ニースで84歳で死去した。フォーヴィスムの一時期だけでなく、色彩、線、装飾、空間を生涯にわたり組み直し、20世紀美術へ広い影響を与えた。
法律を学んだ後、療養中に絵を描き始めて画家へ転じた。
出典:オルセー美術館 作家記録 / ナショナル・ギャラリー 作家・作品記録 / MoMA 作家・作品一覧(2026-09-14 確認)
フォーヴィスムだけへ還元せず、初期の試行、1910年代の構成、晩年の切り紙絵と礼拝堂までを分けた。
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