カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは1774年、当時スウェーデン領だったバルト海沿岸のグライフスヴァルトに生まれた。海辺と平らな土地の景色は、のちの風景画の基礎になった。
若い頃にグライフスヴァルトで学び、1794年からコペンハーゲン美術アカデミーで素描を修めた。1798年にドレスデンへ移り、以後そこを主な拠点とした。
初めは鉛筆やセピアによる作品で評価され、やがて油彩へ進んだ。実景をそのまま写すのではなく、旅や散策で描いた木、岩、雲、海岸の素描をアトリエで組み合わせて画面を作った。
1807〜1808年の《山上の十字架》では、風景画を祭壇画として用いたことが議論を呼んだ。自然の眺めに宗教的な意味を重ねる姿勢が、フリードリヒの特徴として早くから現れている。
1810年、《海辺の僧侶》と《樫の森の修道院》がベルリンで展示され、プロイセン王に購入された。同年ベルリン美術アカデミー会員となり、1816年にはドレスデン美術アカデミー会員になった。
人物を背中から描く「後ろ姿」は、彼の絵によく現れる。鑑賞者はその人物と同じ方向を見ることになり、目の前の景色を眺めながら、孤独、信仰、時間、死などを考えるよう促される。
1820年代以降も《氷の海》などを制作したが、時代の好みが変わるにつれて評価と収入は落ち込んだ。1835年に脳卒中を起こした後は、大きな油彩を描くことが難しくなった。
1840年、ドレスデンで死去した。死後しばらく忘れられたが、1906年のベルリンでの大規模な展覧会をきっかけに再評価が進み、現在はドイツ・ロマン主義を代表する画家とされる。
散策中の素描をアトリエへ持ち帰り、複数の観察を一つの風景へ組み合わせた。
出典:ロンドン・ナショナル・ギャラリー フリードリヒ略歴 / ベルリン国立美術館 フリードリヒ展 / ベルリン国立美術館 修復研究 / ハンブルク美術館 19世紀コレクション(2026-09-12 確認)
政治的・宗教的意味の断定を避け、所蔵館が確認できる制作過程と受容史を中心にした。
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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
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